フリーマンの昼寝

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2011年02月の日誌


東大寺お水取りに思う その3 2011/02/21 

素人目線で書いてみた。最近はメディアの影響なのだろうが、観光客がものすごく増えそのほとんどが修二会の本来の意味を知らず(修行であることも知らない)炎に気勢を上げ、フラッシュをたいて写真を撮ったりするなどマナー以前の問題が起こっている。東大寺では12日のクライマックスには観光客の締め出しまで考えたようである。
何事もそうであるが、人間は自分一人の時にのみ主役であり、その時にのみ好きかってが許されるわけで、複数の人間が集まる場や、その地に根ざしたものに触れるときには、その地の文化や歴史をしっかりと勉強した上で望まなければ完全に失礼に当たるのだ。それを解っていない大馬鹿者の大人達が多すぎる。長きにわたり培われた文化や歴史の中で生まれ育った人間にすれば本来、無責任なよそ者には来てもらいたくないのが本音である。

東大寺お水取りに思う その2 2011/02/21 

では次に、皆さんがニュース等でよく目にする御松明について書いてみる。御松明は練行衆が修行のために二月堂に入っていく足下を照らす道明かりである。このこともあまり知られていない。二月堂に向かって左側に階段があるがその階段を御松明は上がっていく。練行衆一人につき御松明一本がつく。暗くて見えないが御松明の後ろには練行衆達がついているのだ。そして、二月堂につくと向かって左側の入り口から練行衆が本堂に入る。その後御松明のみが二月堂の周りを回るのである.故に二月堂の周りを回っているときには練行衆はついていない。観光客や見物客に松明だけが有名になるのはこの辺に理由がある。ちなみに練行衆は11名いてるため御松明も11本なのだが、実際は12日のみ11本で、他の日は10本である。これは練行衆のひとりは準備のため先に上堂しているためである。3月1日の本行開始日から13日まで毎日続けられるため毎年131本の御松明が作成されることになる。この御松明も最近では材料の確保が難しくなってきているらしい。お水取りが終了すると、奈良の町のあちこちで使用された御松明が飾られている。
さて、テレビ等で見るお水取りは大きな炎が駆け巡り派手であるが、本堂の中は一転してピンと張り詰めた空気の中で行は進められている。私も一度入らせて頂いたがしゃべることはもちろん一度座ってしまうと立ち上がることすらできないくらい空気が張り詰めている。二月堂の内部は三重構造になっており練行衆達はその一番中心部で修行を行う。中心部を除く部分に一般が入るのだが、三重構造の二層目は男性しか足を踏み入れることはできない。内部は、大きな本堂の中に数本のろうそくがあるだけで、練行衆の気配は感じるものの、実際にしっかりと修行の姿を見ることは不可能に近いくらい真っ暗である。中々中に入る機械はないと思うがチャンスがあるなら是非見学することを進める。お水取りのすばらしさはそれを知らなければ意味ないと言っても良いほどのものがある。

東大寺お水取りに思う その1 2011/02/21 晴れ ポカポカ

2月中旬を過ぎ梅の花がちらほら咲き始めた。いつもの通り奈良はお水取りの時期である。20日から東大寺戒壇院別火坊にて修行が始まった。今回はお水取りについて書いてみる。
世間では、修二会とは正式には修正会と呼ばれるもので、東大寺の修正会をお水取りと呼んでる。また薬師寺では花会式と呼ぶ。修正会とは懺悔告白の儀式であり、754年から数えて今年で1260回目を迎える。
現在では2月20日から戒壇院別火坊で修行に入り、3月1日より本行に入り3月15日に満行するが、昔は旧暦の2月1日から行われていたため、修二会と呼ばれるようになった。二月堂の名前の由来もそこにある。
さてではなぜお水取りなのか?お水取りの儀式があるのだから当然お水送りの儀式もある。お水送りは3月2日若狭・小浜の下根来八幡宮で行われている。
そもそもの由来は、東大寺二月堂で修二会を開くに当たり、全国の神様を招待したところ、若狭の神様だけが趣味の漁に夢中になり遅刻をしてしまい、そのお詫びとして若狭からご本尊に備える御香水を送ったとされています。この御香水10日で東大寺に到着し12日深夜(13日午前1時くらい)二月堂下の若狭井から実際にくみ上げられている。お水取りの名前の由来は以上である。