フリーマンの昼寝

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2010年07月の日誌


人間の観念 2010/07/28 薄曇り 蝉はうるさい 夕立降りそう

人間の行動の善し悪しってどのように決めているのか?人は行動のすべてにおいて「やって良いこととやってはいけないこと」の判断をしている。
では、その判断基準ってどこで学んだのか?少なくとも生まれたての赤ちゃんにはその知識はない。生まれたての子供は、無の状態にある。その無の状態に、生まれた瞬間から、いろいろな情報がインプットされる。その長年にわたって蓄積された情報と、今自分が置かれている立場を考慮して無意識の間に善し悪しの判断をつけているのだ。これが人間の観念である。「これをしたら駄目、あれをしたら怒られる」というのは観念によってもたらされている。観念はある意味、常識を越えない(無理をしない)生活をしていく上において非常に大事なものである。しかし観念には、人間の夢を阻害する要因がある。自分に対する思い込みによる観念である。
たとえば犬が嫌いな人がいるとする。その人はどのような種類の犬を見ても反射的に嫌いだという判断の下で行動を起こす。しかしこれでは、いつまでたっても犬と接触する機会がなく新しい自分を見つけることはできない。中には努力して犬と接触しようとする人がいる。それは間違いではないが、その人の努力であって根本の解決にはつながらない。その人が犬が嫌いになった原因が必ずどこかにあるのである。遠い昔の話でその原因を忘れていたとしても必ず原因はある。その原因を見つけ、自分でそれを理解したとき犬嫌いを解決する糸口を見つけたことにある。その原因を見つけてこそ犬が嫌いだという思い込みからの脱却であり観念を打ち破ることにつながる。
少々例えがおかしかったかもしれないが、「してはいけない」という理由を自分でとことんまで問い詰めてみることが非常に大事である。その行き着くところが真実であり、その真実を見つめて、善し悪しを判断すればいいのである。そこに出てくる答えによっては、「してはいけないこと」ではなくなる可能性が充分ある。
人は観念を自ら打ち破ることができれば、新しい道が見え、その道が広がり、大きな野望が生まれる。これこそ人間が知らぬ間に忘れてしまった自分の夢への再挑戦である。「現状を打破して当たらし道を切り開く」という言葉もこれと同じだ。自分の周りに分厚く取り巻いている観念のバリアをいち早く打ち破ることこそ夢を現実のものとする近道である。
タダ怖いのは、先でも述べたように、正しい善し悪しの判断も観念が担っているため、観念を破ることによって暴走してしまう恐れがある。だからといって恐れてはいけない、万が一暴走してもきちっと周りの人の意見を聞く耳を持ち合わせていれば脱線はしない。他人が暴走を必ず教えてくれる。
観念を正しくぶち破った人間の行動は、非常に大胆であり、かつ繊細であり、目標に向かってぶれることはない。本来の人間の姿はそこにあるのではないかと思う。

子どもが親を超えるとき 2010/07/22 酷暑

育友会のお手伝いをし出して、よく学校に行くようになった。そこで感じること。親は何を思って子供に教育を受けさせているのか?進学校であるからだろうか?確かに教育熱心な親が多い・・というかほとんどがそうである。しかし、親はどのような理由で子どもに勉強をさせているのか不思議でしょうがない。明らかに、国公立などの良い大学に入ることを目的においている親が非常に多いと感じる。本当にそれで良いのか?子どもの意志は?確かに中学1,2年生に勉強をする目的を聞くのは無理かもしれないが、高校2,3年生になって社会に出てからの目的を持っていないのはこの時代ある意味問題である。良い大学に入るのは、社会に出てからの自分の目的に対する手段であって、大学に入ることが目的ではない。子どもが社会人として自分を超えて成長する礎を気づいてあげることが、教育であると感じる。
子どもが、親を超える要因は非常にたくさんある。子どもの身長が自分を超えたときなどは、悔しさとうれしさが複雑に交錯する。同じように、社会において子どもが自分を超えたと実感したときが一番複雑であるかもしれないが、喜びでもあり、それが真の子育ての終着点ではないのだろうか?子どもが独立すれば確かに物理的子育ては終了する。子育ての成果が出るときは、子が親を超えたときであり、そこで真の子育てが完了すると感じる。それを感じる事ができない(子どもが親を超えない)親が非常に多すぎるが・・・
少々偏った考え方であるかもしれないが・・・・

カートリッジの正体 2010/07/16 

ちゃんと答えは解るものです。ブラウンと書いてあっただけにやっぱりひげ剃りのパーツでした。電気カミソリのスタンドに着ける消毒用のアルコールカートリッジであることが判明。別に驚くほどのことでもなかった。解ってみればなーーーーんやっというようなものでした。でも自分で使ってなければ、さっぱり見当のつかないものが多くなった。昔は大概検討ついたのに・・・やっぱり至れり尽くせりの世界になってきた証拠ですな

至れり尽くせりの結末 2010/07/15 

今日は、朝から学校の育友会の仕事でした。秋の文化祭で実施するバザーお商品の受付を実施。三日間実施の初日、案外いろんなものを 持ってきてくれました。昨年の引き継ぎでびっくりするようなもの を持ってこられた方がいたそうです。コンセントを差し込むと煙が 出た家電製品。カビカビのそうめん。夫婦の名前が入ったのし紙が ついたままの引き出物。ここは廃品回収の場所ではないと役員大爆 発だったらしい。今回はそのようなことがないように。準備万端お 迎えしています。それでも一つ、なんかのカートリッジなんですけ ど、ブラウンの商品で、カートリッジ内はアルコール。大きさは15cm×15cm×3cm くらい。一切何かわからない。カートリッジだけ の協力って・・・もしそれを買ってくれる人がいたら、何 に使うのか必ず聞こう。しかし世の中にはいろんなものがたくさん ありますなぁ・・・