フリーマンの昼寝

フリーマンの昼寝

2011年01月の日誌


諦めと向上心 2011/01/15 

強く生きよと母の声

死ねと教えし父の顔

走る時代の歯車ならば

人にかくれて生きるもよし

これは、とある芸能人?(世界的映画監督と言えば誰か解るでしょ!)が昔、バイク事故を起こして、テレビに復帰する前に東京のとあるバーの壁に殴り書きをした詩です。私も良く覚えてますが、そのときはテレビで散々こき下ろされてました。そのときの腐った自分をを表現したものなでしょう。彼の今を想像するとこの言葉は信じられないような感じがします。この詩からは、頑張って生きようとか、見返してやるというような意味は全く感じ取れません。全く後ろ向きでしかありません。ただ、ここまでの絶望感って皆さん自分で体験したことありますか?必ず人間て、落ち込んで人に大変だ大変だと表現しながらでも、どこかに相反する考えをちょっと隠し持っているもんです。でもこの詩からはそんなことをこれっぽっちも感じられません。書かれた字体も完全に投げやりなんです。このあと、この芸能人にどのような変化があったかは解りませんが、これを機に彼は爆発的変化を遂げます。逆に行き着くところまで行ったから彼の現状があるのかもしれません。先が見えない状況でも諦めてはいけない。もし今どん底と思うなら必ず上を向く。タダ上を向かせるのは、今までの自分がやってきた履歴でしかないのだが・・・

経験とは生きるための餌である 2011/01/13 

久しぶりに書こうと思う。新年を迎えるにあったって・・・・とか、今年の決意・・・・・なんてものを書くつもりもない。今年はうさぎ年である。見事に年男である。早くも48年を生きてきた。ゆっくり振り返ってみると本当に物心がついたときから、いろんな経験をしてきている。当然のごとく数え切れないくらいの経験がある.楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、腹立たしいこと、悔しいこと・・・・・感情を言葉にすればきりがないくらいの経験をしてきた。当然そのすべてを覚えてるわけではない。しかし、すべてを忘れているわけでもない。いくつかのことはしっかりと覚えているし、それが教訓にもなって現在の判断基準の一つになっている。僕自身、今でも行動の中でふっと小学校の時の自分の判断ミスによる失敗が思い出されたりする。それも突然・・・日頃忘れている事柄でもふっとした自分の行動の中から、デジャブではないかと思うくらいぼやっと思い出したりする。決して医学的お話をしようとしているわけではない。記憶力のお話でもない。学問では言い表すことができない自分の経験の集大成が今を形成している自分であるということが言いたい。物理的体型や仕草、口癖、自分に関わるすべてにおいて現在まで生きてきた証拠品である。毎日毎日の経験に、無駄なものは一切無い。これから先、自分を構築するための餌なのだから・・・今年の8月10日に48年目の集大成の記念日を迎える。そのときにもう一度そのときの自分を見つめてみよう。