フリーマンの昼寝

フリーマンの昼寝

2010年10月の日誌


北海道研修 その3 2010/10/28 

2次会終了後は、熊谷常務と二人で、自身の目標達成のため某ラウンジへ。昨年北海道に来たときに巡り会った人と再会を遂げるために・・・相手はビックリし ていた。そりゃビックリするわな。もう1年以上前である。それも1度しかあっていない。なかなか面白いプロジェクトであった。そして、深夜の寿司屋へ そ こでししゃもの刺身なるものをいただいた。これがまた美味である。部屋に戻ったのが3時過ぎ。非常に内容の濃い二日間であった。最終日は、ホテルと空港の ラウンジでパソコンとにらめっこ。この文章は、帰路の飛行機の中で打っている。

今回の経験は、非常に内容の濃いものであった。先にも書いたが、経験したもにしか解らないものがそこにはある。「経験した者は経験していない自分に戻ることは出来ない。」だからこそ今回の経験を存分に前面に出し、奈良に帰ってから今回の経験と気づきを生かした取り組みを行ってほしい。参加した10名全員が積極 的に取り組みだしてくれれば、僕の今回の目標達成となる。皆さん期待しているよ。

今回の研修に際し、忙しい時期にもかかわらず砂子社長を始め多くの社員の皆さんの心温まるおもてなしに感銘を受けました。感謝いたします。本当にありがとうございました。

北海道研修 その2 2010/10/28 


そして2日目、砂子炭鉱の見学である。露天掘りよる石炭採掘。近畿に住む我々にとって炭鉱とは縁遠いものであった。「あー石炭掘ってるのか」と言うくらいの感覚であった。しかし実際にそれを目にするとそのスケールのでかさと、苦労さがありありと解った。並大抵の仕事ではない。年間230万m3の掘削そして 産出される石炭が20万m3とのこと。とてつもない数字だ。40tダンプがごろごろと走っている。ユンボも半端ではない。大きな開発工事たとえばゴルフ場開発どころではないのだ。さすがに、常に建設現場に従事している弊社の社員も目を丸くして、子供のように重機を見てはしゃぎまくっている。こういう場所に 来ない限り目にすることはない光景を経験した。今回参加したメンバーにはいろんな意味で良い経験であっただろう。

ここで炭鉱のお話。北海道も九州もどんどん炭鉱が閉山していった。僕は、採掘しきったために閉山になっていたっと思っていた。そうではなかったのだ。現在 も北海道の石炭は豊富に埋蔵されている。当初からして全量の1/3も採掘されていないと言うことである。ではなぜ閉山に追い込まれたのか?すべては円高に より海外調達の方が安くなったあおりである。日本経済の成長の原動力の一つだったエネルギー採掘が、結果的には国を成長させ円の価値を引き上げたために、 自分を首を絞めてしまったという何とも皮肉な結果なのである。
炭鉱事務所前でジンギスカンパーティを開いていただき、昼食をとった。ここでのジンギスカンはタレに漬け込まれている。タレに漬け込むのは北海道でも空知 のあたりだけらしい。これがまたうまい。次にビックリしたのは、イカの丸焼きである。我々が知る丸焼きとは違い、内蔵をそのまま取ることなく焼いてしま う。処理をするとすれば烏口を取るだけだ。焼ければそれを輪切りにして内蔵ごと食べる。うまい!

書き忘れていたがこの日は朝から北海道で初雪が降った。降っただけではない。次の日の朝には積もっているくらい降ったのだ。奈良のみんなよりも一足早く雪を経験した。本当に寒かった。北海道へ出発の前日にミクロネシ アから帰ってきた自分にとっては堪える。背中の皮が捲れて痒いのに、目の前には雪が降っているのだ。何とも不思議な経験である。昼からは建築の現場視察、 その後その現場のプレゼンを受けた。夜は前日を同じく懇親会 2次会と続き交流を深める。今回は、今年の新入社員である塩田くんが参加してくれていた。実 に物怖じせずしっかりと自分の意見を言える今時珍しい若者である。良いチームには良いメンバーが集まってくるのか?期待してるよ塩田くん!

北海道研修 その1 2010/10/28 雨 寒い雨

社員10名を引き連れ、2泊3日の研修旅行に行ってきた。目的は、CCPM(クリティカルチェーンプロジェクトマネジメント)を同じように取り組んでいる株式会社砂子組との合同研修である。関空から出発後、新千歳空港に到着。その後JRで美唄まで1時間の旅である。日本一直線が長い道路(29.2km)沿いに砂子組の本社はある。昼食後、早速、研修開始。まず弊社が、建築と土木のCCPM自営を発表する。その後、砂子組の取り組み事例である。そしてサプライズ座談会。吉川、原田が頑張りました。最後には、社長同士の座談会も実施した。

感想としては、取り組み方に大きな隔たりがある。まだまだ弊社は子供であることを実感する。また取り組みだけではない。プレゼンの仕方も全く違う。やはり慣れてることからの自身がうかがい知れる。砂子社長との座談会では、砂子社長の理念というものを教わった。私自身も同じような理念を持て経営をしているが、やはり砂子社長の方が遙かに上手である。
「経験は何にも変えることの出来ない武器になる」成長するためには経験するしかない。確かにその通りだ。私自身も経験の積み重ねの中で成長してきた。常に「YES」と受け入れてきたからこそ今の自分がある。新しいこと積極的に取り組まなければ、人間の成長はそこで止まってしまう。砂子社長は、それを社員に実施させている。そして社員達は、それにしっかりと答えているのだ。これほどすばらしいものはない。夜の懇親会の中でもそれを感じ取れる。積極的に弊社社員と会話をしようとする姿勢がビシバシと伝わってくる。「相手が社長だから」とか気にしていない。せっかく与えられたチャンスを取り逃がすことの方がもったいないと言う考え方がしっかりと根付いている。それに感化されたのか最初は堅かった社員もだんだんと積極的に交流を始めだした。こういう姿をいていると嬉しくなってくる。7時からの懇親会がスタートし2次会が終わったのが12時過ぎ。何とも長い1次会と2次会であったがあっという間の過ぎてしまった。

ミクロネシア ポナペを訪問して その3 2010/10/24 

観光産業の可能性は充分あります。ダイビング、サーフィンでは充分に人を呼ぶことが出来るレベルにあります。中型機が着陸できるようになれば、 その可能性はより確率が上がります。しかし、宿泊施設がそれを処理するだけの能力がありません。インフラの整備についても、最低限の整備はされています が、台風等の自然災害がほとんど無い島ですからその必要性を今まで感じてこなかったのでしょう。ですから、建設関係においても、地元建設業というのがほと んど無く、銀行やホテルは外資系企業が、フィリピン人などを連れて来て建設をします。ですから仕事があってもそれが国の収入に繋がるようなことはありませ ん。また日本人も多く住んでおり、頑張っています。世界的にも有名な(僕は知りませんでしたが)ポナペペッパーは日本人が初めてポナペで栽培をし成功を収 めていました。写真はその胡椒を使ったペッパーステーキです。ご飯は当然カリフォルニア米。むちゃくちゃ旨かったですよ。

ミクロネシア人自身が非常に親日ですから、日本人はうまく溶け込んでいます。以上のように、現時点では ビジネスをするに出来るような状況ではありませんが、ミクロネシア人のやる気を日本人がうまく引き出せば、成長することは十分にあるでしょう。もう少し具 体的に計画を練ってみる価値は充分あります。大きな意味で仕事を創出する動きをしないと行けません。これは非常に大きなプロジェクトになります。ファイ トー!!

後は付録の写真
郵便局の横にあった日本軍の戦車です。
あっ郵便局で思い出しましたが、住所はないようです。郵便物は全て私書箱あてで郵便局に取りに行くとのことでした。


次の写真が、・・・・・何だと思います?ちゃんと写っていませんが日本の国旗です。・・・・そう、そうなんです。このアパートの一室・・・日本大使館です。悲しいでしょ・・・・・ちなみに中国大使館は、立派でしたよ。


次は、ポナペで唯一あるファストフード店で食べたラーメンです。
キュウリ 人参 キャベツの千切り(当然生です)薄焼き卵 それがレギュラーでのってます。それ以外にメニューにあわせて、チキン、ポーク、ビーフ、スパムといった具合です。ちなみに写真はポークラーメンです。ポークは卵の下に隠れています。
インスタントの醤油味(あっ、スーパーにはサッポロ一番やカップヌードルは売っていましたよ。日本の調味料は大概ありました。そういやマヨネーズはなかったなぁ・・・


ミクロネシア ポナペを訪問して その2 2010/10/24 

ビジネスの可能性の報告を島の状況を含め報告・・・

ミクロネシアの人々はのんびりすぎるくらいのんびりしています。女性主導の国なのか、女性はよ
く働くようですが、男性は全くどん欲感を感じないくらいのんびりです。それが全体の流れになっているのか、基幹産業というのがありません。国として儲けよ うという勢いが感じられないんです。資源としては観光資源が豊富にあると思うのですがその方向に向かおうとしている様子もありません。
写真のような滝いくつもあります。そんなに背の高い滝ではありませんが、ジャングルの中にある非常に雰囲気のある滝でした。
島の南東部には、遺跡も残っています。文献が何もないらしくはっきりとしたことは解らないらしいですが、すばらしい観光資源であることは間違いありません。

現在、ODAで五洋 建設が空港の拡張工事をしています。完成は来年3月予定で中距離器が着陸できるようになりますがそれを大いに利用しようという流れは全くありません。と、 こう書くと、どうしようもない国のように思いますが、可能性は未知数なくらいあると感じました。まず子供の数が非常に多いことです。中長期で見たときにこ れは、非常にい大きなパワーとなります。ベトナムが今大躍進している原動力は、国民平均年齢が29歳代であるとうことです。そう考えれば今の子供達が成人したときには、大きく成長を遂げる可能性は充分にあります。次に産業ですが、島には700m級のヤマが4つあり、雨が豊富です。故に土地が非常に肥えてい ることが考えられます。しかし農業が盛んでもありません。ほとんどの農作物は輸入に頼っているようです。主食はタロイモでしたが、米を知ってからはカリ フォルニア米が輸入されています。牛、豚、鶏に関しても輸入です。そして鶏卵まで輸入なんです。前述したように土地は肥沃なはずですから、ここにも可能性 はあります。ただ、山から海岸線までの距離が非常に近いため、大々的な農地開発は難しいでしょう。しかし、自分たちが消費する分くらいは充分作れるはずで す。漁業については、自分たちの食べる分は漁が行われていますが、加工をして輸出をしようという考えは全くありません。漁業権は中国と韓国に売られているようです。



ミクロネシア ポナペを訪問して その1 2010/10/24 

ミクロネシア連邦ポナペ州(ポナペ島)に行ってきました。「趣味と実益がどこまで成立するか?」と言う大それたテーマを掲げ、17日から24日まで行ってきました。
まず、趣味(ダイビング)の報告から・・・り透明度はピカイチです。余裕で30mは見えています。水平方向はそれ以上でしょう。吸い込まれるような透明度です。が、今回海況があまり良くなく、この透明度を体験したのは1DIVEだけでした。非常に残念!!


ダイビング時の昼食!バナナの皮にご飯とおかずが包まれています。これはおいしかったですよ。ちなみにゆで卵は殻ごと入ってました。
実は、この後、大けがをすることになります。無人島にあるコンクリート製の小さな桟橋がに座って食べたんですけど、塩害と風化によりぼろぼろ状態。一部が折れて、手首損傷。ギリギリセーフといったけがでした。ちなみにドリンクは、ルートビア!知る人ぞ知る清涼飲料水。サロンパスの味です。ほんまにそうなんです。ご飯には全く合いません・・・・


体験記 2010/10/16 曇り?


今回は体験記です。先日、宮崎県新田原基地でF-15イーグル戦闘機の体験滑走をさせていただきました。滑走ですから離陸はしませんが、滑走路まで出て、約100ノット(約180km)まで、アフターバーナーを点火して加速を体験しました。100ノットまでが、だいたい4秒くらい。あっという間の経験でしたが、自分にとっては、戦闘機乗りが夢であっただけに、感無量でした。乗せていただきたことの感動は当然として、実際に一機の飛行機を飛ばすのに際し、非常に多くのグランドクルーが働いています。新田原基地には1200名の隊員がいるそうですが、そのうちのパイロットは40名だそうです。組織についてもいろいろとお聞きすることが出来ました。航空自衛隊は、陸や海とは違い命令系統が複雑であると言うことを学びました。けっして、上から下へ一本ではつながっていないと言うことです。非常に説明しにくいのでここでは書きませんが、自分の部下は部下にあらず!がしかしその責任はその上司にある。と言う普通の社会では少々理解しがたい組織体系です。が、良く聞くとそれが航空自衛隊の特性上、一番合理的で効率的であることがよくわかります。
今回、体験させていただいたのは、飛行教導隊という部隊です。これは、皆さんもよくご存じの映画トップガンの教官側(仮想敵国)になる部隊です。故に航空自衛隊でもトップファイターの集まりです。今回その教導隊の隊長(3枚目の写真)に試乗させていただきました。パイロット達は、体がボロボロであるとのことでした。飛行旋回時は最大で8Gの重力がかかるそうです。普通に乗ってるだけであれば何も問題はないそうですが、実際、訓練中は、その重力の中で、ほとんど前を向いていることはないそうです。常に敵を目視するため、上半身を前後左右させながら飛ばせているそうです。戦闘機の特性上当たり前なのですが、故に、ほとんどのパイロットが背骨の軟骨がボロボロとのことでした。
その後、写真は撮影禁止のためありませんが、アラート見学をしました。アラートはスクランブル待機所のことです。新田原基地ではF-4ファントム戦闘機が臨戦態勢のまま待機しています。実際にでもスクランブルを見せていただきました。スクランブルの命令が出て、約4分で離陸していきます。パイロットと整備士達の機敏で危機感をを感じる迫力ある行動は、私たちの世界にはない命と背中合わせの中にいる彼ら特有のものに感じました。彼らが命がけで守ってくれているその上で我々は生活をしています。安易に生きているのではなく、しっかりと日本人としての責任を感じながら生きなければならないことを改めて実感しました。

今回は、全国防衛協会連合会青年部会 会長の役職で乗せていただいたものです。この役職がいかに重いものかも改めて実感しました。任期満了まで全力で頑張ります。

夢の実現 2010/10/13 曇り IN 宮崎

誰もが描くのが夢。誰でも物心がつき「どんな人になりたい?」と聞かれたこがあるだろう。なんて答えたか覚えてますか?少しずつ大人になり、社会がわかりだしたとき、何になりたいと思いましたか?それは実現しましたか?たぶんほとんどの人が実現できていないのが現実である。そういう自分も実現は出来なかった。ただ、ほとんどの人が出来ないとわかった瞬間からあきらめてはいないだろうか?当然、物理的に無理な夢を持った人もいるだろう。しかし、だからといってあんに諦めていないだろうか?どうにか実現しようという努力をしただろうか?当然その努力をしたからといって達成できることでもない。しかし、諦めずに自分が初めて持った夢(目標)を諦めずに走り続けると言うことは非常に大切なことである。常に良い意味で夢を追い続けている人間にはゆとりを感じる。与えられている目的(企業人として)とは別に個人で夢を追いかけている人間には、確実にゆとりがある。そして、そこから生まれる専門分野とは違う知識も生まれる。確実に驚くほど人を大きくするのである。そして何よりも、一生懸命追い求めてこそ、不可能と思っていた事が可能になるのだ。夢実現に向けて努力をしていない人には絶対に訪れることがない喜びがある。もし忘れたり、夢を捨てた人は今からでも遅くはない。再度夢を追いかけてみよう。今から新しい夢を追いかけるのも大いにありである。自分の夢で人と話が出来れば最高だ。

チームワーク 率先垂範から得られるもの 2010/10/13 曇り IN 宮崎

「率先垂範」 誰よりも先に模範となって行動を起こす。この言葉は、皆さん知っている言葉と思う。今この率先垂範をしている人がどれだけいるのだろうか?言葉で聞けば当たり前のことで、やっていますよという言葉があちこちから聞こえてくることだろう。しかし本当にできているのか?人間は、得意の分野は誰でも率先垂範するどころか我先にという想いの方が強いかもしれない。故に得意分野の率先垂範は当たり前である。自慢するべき事でもない。問題は専門分野でも無く興味も無いものに対して率先垂範できるか?である。自分の不得意とすることをどこまで率先垂範しているか?人間は、こんな時に堂々と言い訳をする。出来ない言い訳である。「自分がすると他人に迷惑がかかる。」「模範となるだけの知識がない」などの理由をつけて極力触れようとはしない。本当にそれでよいのか?なれていることでないと模範にはなれないのか?決してそんなことはない。特に今夏のテーマにしているチームワークにおいては、率先垂範が非常に大事である。一つのチームが新しいものに取り組むとき、誰かがリーダーシップを発揮して率先垂範しなければ、そのチームは一切前進することが出来ない。しかしそこには失敗したときの責任が存在するため率先垂範しようとはしないのだ。先にも書いたように知っているから手をつけるのではない。なれているからリーダーシップを発揮するのではないのだ。誰もが均等な立場にあるときこそ、勇気を出して、リーダーシップを発揮して全員の模範とならなければならない。そこから得られるものは計り知れない。統率力、問題解決力、提案力、分析力・・・・言い出せばきりがない。それだけ、率先垂範で行動を起こすことはすばらしいことである。でもね、みんな逃げちゃうんだよ。めんどくさい、仕事が増える、自分にはそんな能力がない・・・・そんな人、社会は一切必要としてないのにね。今も昔も社会が必要としているのは率先垂範である。